空を飛ぶ方法
 カーテンが開け放たれていた。夏の間は鬱陶しい日差しも、冬が近づいてくるにつれて、その需要が高まってくるからだ。
 窓は閉ざされていたが、隙間から潜り込んでくる風があった。
 空は丸見えだった。訳ではなかった。
 天高くそびえ立つ色々な物により、不自然に切り取られていた。
 雲が空を横切った。すぐに、その姿は見えなくなった。天高くそびえ立つ色々な物の後ろに隠れてしまった。

 音が流れる。静寂の中、優雅に、音が流れる。
「はい、止め」
 ここは学校という所だった。そしてまたここは、その中の教室という所だった。もっと言えば、『2の3』という名称の付いた教室だ。
「それでは後ろから集めて。いいと言うまで立ち歩かないように」
 そしてどうやらテスト中だったようだ。一段高いところに立った女性が
「よろしい」
 と言うと、一斉に子供らは動き始めた。先程の静寂が嘘のように辺りは騒々しい。
「またあんた空見てたでしょ」
 そんな中、窓際に座ったままの少女に誰かが声を掛けた。
「だって好きなんだもん」
「知ってる。でも、テスト中よ?」
「早く終わったんだから、いいじゃない」
 そう言ってから少女はまた切り取られた空を見上げる。
「あんたは、空、飛んでみたいと思ったことはないの?」
 少女が彼女に尋ねた。
「そりゃあ一度くらいはあるけど……。あんたみたいに、空に憧れてたわけじゃない。
 ただ、飛べたらいいな、ぐらいにしか思ってなかったわ」
 普通はそうなんだろう。

 「空を飛びたい」
 それが少女の口癖だった。心からの願いだった。
 今なら飛べるかもしれない。
 そんな瞬間が度々彼女に訪れた。けれど彼女は実際に飛ぶことはなかったし、挑戦することもなかった。
 知っていたから。人は空を飛ぶことは出来ないと、知っていたから。

 少女は歩いていた。学校からの帰り道、大好きな空を見上げながら歩いていた。
 ふと、立ち止まる。
「あれ? ここどこ?」
 知らないところにいるらしかった。
 きょろきょろと辺りを見回すものの、知っている物がひとつもない事を確かめると、再び少女は頭を捻った。
「私は歩いてた。いつも通りの道をいつも通りに通って帰ってた。……はずなんだけどな」
 んーどうしたものか。
「お嬢さん、お嬢さん」
「?」
 少女が振り向いた先には、一人の男性がいた。燕尾服にシルクハットというなんとも畏まった格好の。
「ここから逃げてください」
「?」
 少女はまたも疑問符を飛ばす。
「とにかく、逃げてください」
 よく分からないが、とりあえず切羽詰まっているようなので、少女は逃げることにする。何から逃げるのかも分からずに、とりあえず男とは反対の方に走った。
「さて、それではお待たせいたしました」
 何かにひとつ、礼をして、男は動き出した。

 「はっ、はぁっ、……っは」
 人並みの体力しか持たない少女は、ある程度まで走ったところでストップした。
「! ど、して!」
 後ろを振り返ると、何故かさっきの男が少女を追いかけてきている。そしてもう、すぐ側に。
「忘れ物です」
「え?」
 自分にはそんなもの、した覚えがない。
「ほら、あなたの羽根です。大切な物でしょう?」
 自分はそんなもの、持った覚えがない。
「まだよく分かっていないようですね」
 男は不思議なことを言う。少女が忘れたと言う。その真っ白で綺麗な羽根を忘れたと、言う。

 「どうしたの、それ」
 少女がもつ綺麗な羽根を指して、彼女が言った。
「私のなんだって」
「は?」
 少女がそれをクルクル回しながら答えると、呆れた声が帰ってきた。
「あんたとうとうおかしくなっちゃったの? ただ異常に空が好きなだけだと思ってたのに」
 私も思ってたわ。
 少女は思う。人はただ、空を飛ぶ方法を忘れただけなのではないだろうか。だってあの男は言ってた。
『空を飛べる力があるっていったら、あなたは、どうしますか?』
「そんなの、飛ぶに決まってるじゃない」
「え」
 少女があまりにも小さな声で呟いたので、隣の彼女には聞こえなかったようだ。
「何でもないわ。でも、私、空を飛びたいの」
 また始まった、とでも言うように彼女は苦笑して、少女から去っていった。
 少女はまた切り取られた空を眺めた。
 この空にとけ込めるのなら、私は何だってしよう。

 その日、少女は学校の屋上に立っていた。例の羽根を持って。
「ねえ、本当にこれは私の物なの?」
「はい、そうです。間違いなく、あなたの物です」
 何故そこまで言い切れるのだろうか。理由などは全く分からなかったが、少女は男の言葉に妙な説得力を感じてしまった。
「ねえ」
「何でしょう?」
「あの日、私は何から逃げていたの?」
「あなたから夢を奪うものです」
「私の、夢?」
「あなたが一番ご存じのはずですが」
 そんなこと、言われなくてもすでに分かっていた。少女の夢など、ひとつしかないのだから。
「あの後、どうなったの?」
「知る必要のないことです」
 そう冷たく突き放されても、少女にはどうでもよかった。少女の興味など、初めからひとつしかなかったのだから。
「じゃあ私は、本当は空を飛べるの?」
「忘れた物を取り戻せば」
 それは一体何を意味しているのか。
 この、小さな一枚の羽根に賭けてみようか。私の願いを、希望を、託してみようか。
 少女の中に前向きな気持ちが芽生えた。
「私は空に憧れを抱いているの」
「知っています」
「私は空を愛しちゃってるの」
「それも」
「空を手に入れるだなんて傲慢なことは考えてないわ。ただ、空の一部になりたいのよ」
 私の願いの最終は、それ。
「空は私を受け入れてくれるかしら」
「きっと」
「そう。それなら大丈夫ね」
 もう、切り取られた空を見ることもなくなるんだわ。

 少女は――飛び出した。憧れであり、愛する対象である、空へと向かって。
 しかし少女がその後どうなったのか。それは燕尾服の男しか知らない。あなたもそんな男に出会ったら聞いてみるといい。
 一体何を取り戻せば、人は空を飛ぶことができるのだろうか、と。