夜明けに終わる今日の世界

 一週間前の夜八時のことだった。たいていの人がテレビにかじりつくその時間帯に速報で流れてきたニュースは、日本だけでなく世界中を困惑させた。
「一週間後の夜明けに、世界は終焉を迎えます」
 原因はわからない。そこまで聞き取る余裕は、心にも頭にもなかった。そのあとみんなが口々に言う原因はどれもバラバラで、どれが本当だかわからなくなっていた。でもそんなこと、どうでもいい。なにがどうであれ、世界はあと一週間で終わるのだ。

 例のニュース速報から、もう六日と少しが経った。朝になれば世界は終わる。
「寝てしまうのはもったいないよ。ねえ、海へ行こう」
 午前三時、彼女が電話口でそう言った。どれだけ通話したって、もう料金が請求されることはない。
「自転車で迎えに来てね」
 言われなくともそのつもりだった。携帯の電源を切って、ベッドの上に落とす。もう誰とも連絡をとるつもりはない。
 戸惑った世界は、混乱するには時間が足りなかったようだ。むしろ終わりが近いことがわかると、とたんに穏やかに、平和になった。このままずっと続けばいいのに。初めてそう、願った。
 なにも持たずにただ自転車をおして、歩いて彼女の家に向かう。点滅する信号が続く真夜中の道路には誰もいない。みんな最後の夜をどうやって過ごしているのだろう。僕らみたいに海へ行く人は、他にもいるだろうか。でもできれば、いない方がいい。なんとなく、そう思った。二人きりがいいなって、きっと彼女も思うだろう。
「遅かったね」
「歩いてきたから」
 家の前に出て待っていたらしい。まるで今から街へ出かけるみたいにおしゃれして、薄く化粧もしている。夏に近づく春の夜は少し肌寒い。
「乗って」
 自転車が風をきりはじめると、背中の温もりが寄り添ってきた。かわいくしてきた彼女に、寒そう、だなんて言えない。いくら今日で世界が終わるとしても、だ。
「ねえ」
 うしろから声がかかる。
「やり残したことはある?」
 まるでドラマみたいなやりとりが現実になるなんて、誰が想像しただろうか。
「数えてる間に世界が終わっちゃうくらいには、あるよ」
 前を見据えたまま答えると
「え? なんて?」
 風にさえぎられて聞こえなかったようだ。
「あるよ、って」
 危なくないくらいに首をうしろに振って言うと「そう」なんて、そっけなく返ってきた。
「ドラマみたいだね」
 たぶん、そんなやりとりがしたかっただけなんだ。

 瞬く星と家の数が減り、潮の香りが鼻をつくようになってきた。
「もうすぐ着くよ」
「ん? なに?」
「なんでもない!」
 僕からの声はまるで届かないらしい。なのに、波の音は届く。
「もうすぐだね」
 僕もさっきそう言ったんだ。
 それからもしばらくこぎつづけ、ようやく海岸にたどり着いた。防波堤、テトラポット、その向こうに広がる穏やかな海。自転車を停めると彼女が降りる。僕を待たずに先に階段を上り、防波堤の上に足を広げて立った。ついでに両腕も広げて
「うみだー!」
 と叫ぶ。出遅れた僕も同じようにして、
「うみだー!」
 と叫んでみた。夜明けは、近い。
「一週間ってあっというまだったね」
 手だけ降ろして彼女がこぼす。
「たぶん人生で一番短くって、一番ありふれた一週間だった」
 そうだねって小さく返った声が、波間に消えていった。
 防波堤に並んで座ると、どちらともなく手がつながれる。
「朝焼けの海って、こんなにきれいだったんだ」
 輝く水面を映す彼女の瞳も輝いていて、世界の終わりもなんだか悪くないように思えてくる。こどもみたいに足を揺らした彼女のつま先から、お気に入りだったはずのパンプスがするり、抜け落ちた。
「あ」
 重なる声。最後の言葉は始まりの音に、なった。