眼鏡交換
 放課後の教室で女子と二人っきり。と言っても、単に日直の最後の仕事である日誌を書いているだけだ。しかも好きとかそういう甘酸っぱい感情もない。単に、いつも日直が一緒になる女の子。ただそれだけ。部活が始まったのだろうか。全開の窓からランニングのかけ声が聞こえてくる。そして特に上手いわけでもなく、だからといって汚いわけでもない俺の字がそこに綴られていくのを、こいつはじっと見ていた。
「ねえ」
 手を止めずに
「何」
 とだけ答える。
「代わろうか」
「お、ありがと」
 めんどうだろうし、日誌と共に俺のシャーペンも渡す。それを受け取って、さあ書き始めるかと思いきや、何度か目をしぱしぱさせて
「ねえ」
 もう一度言った。
「何」
 さっきと全く同じ受け答え。
「眼鏡、貸してくれない?」
「え?」
 でも
「でもお前、自分のかけてるじゃん」
 そう。
「二個かける気?」
 それを実行したこいつを想像してしまって、少し笑いをこらえながら言う。
「違う違う。交換するの」
 よくよく聞いてみると、最近度が合わなくなってきて少し見えづらいのだとか。もし俺のかけてる眼鏡の方がよく見えるなら、今だけでも使わせて欲しいと言った。そういうことなら俺が全部書くのに。とは言えない雰囲気で。目の前のこいつはすでに自分の眼鏡を外している。ことり、と静かな教室に音が鳴った。その音が合図だったかのように俺も眼鏡を外す。
「はい」
 と手渡したそれを、そいつはなぜか嬉しそうに自分の耳にかけた。自分が普段身につけているものを、他の誰かが使うなんて初めてで、そのせいか何だかドキドキする。少し日誌を書き進めたかと思えば、ぼけっとしたままの俺に
「ほら、かけてよそれ」
 と言った。
「あ、ああ」
 言うとおりにする必要もないのに、うながされるまま人の眼鏡をかける俺。目の前の顔を見ると、さっきよりもにっこりと笑っているのがはっきり見えた。そう。はっきり、見えたのだ。つまりはあいつと俺の視力はあまり変わらないわけで。自分の眼鏡でだって視界はクリアなはずで。分かりたいような分かりたくないような。視線を下に向けたままつぶやかれた
「ドキドキするね」
 には、何も答えられなかった。