真夜中の少女
 夜中の二時、ふらりと家を出てコンビニに向かった帰りだった。眠れない夜に、おもしろくもなんともない雑誌をパラパラ読んで、時間が過ぎるのを待っていると、追い出された。仕方なく、適当に選んだジュースだけを買って、こうして帰り道を一人歩いているというわけだ。普段飲みもしないリンゴジュースが、左手の中で揺れる。ぬるい風が吹いて、前髪を払ったところで、ふと公園が目に入った。昼間は賑やかなそこも、こんな夜中では当たり前に静まりかえっている。ひさしく公園なんかに足を踏み入れていないな、と思った。単なる気まぐれでしかない。どうせ眠れないんだ。家に帰ろうと公園に入ろうと、何ら変わりない。
 ずいぶん低くなった鉄棒と、小さくなってしまったブランコ。すべり台もなかなかに窮屈だろうな。鉄棒の支柱にコンビニの袋をかけて、好奇心の赴くままに、すべり台の階段を上る。高さは、思ったよりもある。それはたぶん、自分の身長が記憶の中よりも伸びているからだろう。しゃがんで、膝を抱えた。そのまま、滑る。
「うわっ」
 予想外にスピードが出て、思わず声が出てしまう。誰もいないからいいけれど、それがまた恥ずかしくなったりして。確かに窮屈だけれど、今のスピードが出ればおもしろい。それでも、あの頃のように何度も何度もくり返すほど子供には戻れなくて。結局四回目で、飽きてしまった。下の砂地に着地して、立ち上がる。靴底と砂が擦れる音が、やけに響いた。
 次は、何をしてみようかな。辺りを見回す。すると、ブランコに人影が見えた。自分の他にも誰かいたらしい。静かに座って、ゆっくりとこいでいる。眠れないのかな。妙に親近感を覚えて、近づいていった。
「こんばんは」
 それまでぼんやりだった人影が、はっきりと見えだしてくる。少女だ。白いワンピースを着た少女が、ブランコに乗っている。こんな時間に。
「……お兄ちゃん、私が見えるの?」
 やっぱり、そうだったか。状況から見て、きっとそうだろうとは思っていたけれど。幽霊と接触するなんて初めての体験だったから、自信のほどはあんまりだったのだ。
「んー、どうやらね。ひとり?」
 そう尋ねてみると、とたんにクスクス笑い出す少女。妙に怖くないのは、どうしてだろう。
「そうよ。変なこと聞くのね」
 少女が、かわいらしかったからかもしれない。
「じゃあ俺と遊んでよ。そこのジュースあげるからさ。リンゴジュースは好き?」
 ブランコからいったん離れて、鉄棒にかけたままの袋を取りに行く。背後で
「大好き!」
 と声が聞こえた。自然と浮かんだ笑みをそのままに、袋を引っつかんで戻る。

 「そういえば、お前これ飲めんのかな」
 差し出したものの、肝心なことを確認していなかった。
「忘れてた! 持てるけど、飲めないんだった!」
 あまりにあっけらかんと言うものだから、ぽかんとしてしまう。
「物は持てるんだ。俺には触れるの?」
 ほら、また見当違いのことを言ってしまった。
「人間とか犬さんとかはだめみたいなの。お花もね、つめなくなっちゃった。たぶん私が冷たいからだね。みんなの暖かさを取っちゃうから、さわっちゃいけないんだ」
 寂しそうに、悲しそうにそういう少女に、俺は何を言うこともできない。事実だろうから、そんなことないよ、なんて軽々しく言うわけにもいかない。そうだね、なんて同調しても悲しさが増すだけのような気がする。うまい言葉が見つからなくて、
「触れなくても、遊べるよ。行こう」
 さっき飽きたはずのすべり台に誘うことしかできなかった。それでも
「うん!」
 少女が笑顔になったから、少しはましなことを言えたんじゃないかと思う。

 それから二人で、すべり台を降りたりジャングルジムに登ったりした。ひさしぶりにやった鉄棒は散々で、身が軽いからなのかくるくると回り続ける少女を、俺は見ていることしかできなかった。すごい。全盛期でも、あんなに逆上がりができた記憶はない。
「体育で、前に出てお手本したことあるんだよ」
 そうやって笑って話してくれたことも、本当なんだろう。
 楽しい時間は、終わりに近づいてきた。新聞配達のバイクの音が遠くで聞こえる。お別れ、しなければならない。
「お兄ちゃん、今日はありがとう」
 おっと。先に言われてしまうとは、不甲斐ない。ジャングルジムのてっぺんで、笑顔をかわす。
「こっちこそ。また、眠れない夜にリンゴジュース持って来るわ。そのときは、一緒に遊んでよ」
「いいよ! 遊んであげる!」
 きっと、近いうちに来ることになるだろう。それが、眠れそうな夜だとしても。あのコンビニで、俺はリンゴジュースを買うのだろう。
「じゃあ俺、行くね。リンゴジュースに飽きたら、そのときはちゃんと言ってよ」
 ジャングルジムを降りて、少女と二人、公園の出口へと向かう。彼女はここからは出られないのだろうと、薄々感じていた。
「ありがとう! まだリンゴでいいからね!」
「ん、わかった。それじゃあ、バイバイ」
 別れ際に手を振るなんてのも、ずいぶんとやっていなかった。照れが混じる俺とは違って、盛大に腕を振ってバイバイしてくれる少女が、朝日とともに消えてゆくのを見た。去っていくのは、そっちなのね。
 満たされたような心持ちになって、来たときとは全く違う気分で家に帰った。いつ消えてもおかしくない存在だから、もう今夜にはあの公園へ行こう。そうやって会う内に、逆上がりくらいはできるようになりたいものだ。少女に教えてもらえれば、一回転ぐらいはできるだろうか。ああ、そう言えば名前を聞くのを忘れていた。どうせ今夜会うんだ。ブランコに乗りながらでも、聞こう。

 いつものコンビニ。今夜は立ち読みもせずに、リンゴジュースだけ買って出た。もう一人で遊び始めているだろうか。逆上がりを教えて、なんてやっぱり少し恥ずかしいかな。考えながら歩くと、あっという間に公園に着く。
「おーい」
 時間も時間なので、控えめに声をかけた。姿が、見あたらないからだ。
「リンゴジュース持ってきたぞー」
 いない。どこにもいない。今朝方まで遊んでいた、あの姿が、どこにもない。
「嘘、だろ」
 また来るって俺は言って、遊んであげるよってちょっと偉そうにあいつが答えてから、まだ一日も経ってない。
 深夜に徘徊する、危ない人のように公園内を何度も何度も見て回り、やがて、一つの結論を出すことになった。
「……なに、成仏でもしちゃったわけ」
 ベンチに座って、ジャングルジムを見上げる。
「俺が遊んでやったから。それで満足しちゃったってのかよ。一回で十分だなんて、とんだ優等生だよお前」
 袋からリンゴジュースを出して飲もうとしたけど、止めた。代わりに、公園を出てあるものを探す。
 目当ての物は、すぐに見つかった。
「あったあった」
 道路脇に供えられた、いくつかの花束とリンゴジュース。
「お前、そんなに好きだったのな」
 その中に俺が持っていたのを加えると、花束に添えられたメッセージカードが目に入った。
「ゆうか、へ――。そうか。ゆうかって言うのか」
 偶然にも知ることができた少女の名前。でもできたら俺は、お前の口から聞きたかったよ。
「リンゴに飽きたら教えてくれって言ったのに。これじゃあいつまで経っても、他の味にはならないぞー」
 座り込んで、空を見上げて。今夜も眠れなさそうだと、そう、思った。
「また遊ぼうって、約束、したのに」