ないしょごと
 赤澤湊との放課後

 放課後、学園の敷地内を歩いていると、月に何度か遭遇する場面があります。今回は、焼却炉前。
「あの! 前に、助けてもらったときからずっと気になってて……」
 そう、いわゆる告白現場というやつです。結果はもう、見えていますが。告白される側の男子生徒はだいたいの場合が彼で、二年B組赤澤湊くん。確かにかっこいい。相手の女子生徒はいつも違っていて、それでもかわいいかわいい女の子です。でも彼はダメです。それじゃあダメなのです。あなたに向けられた優しさは、他のどの人にも同じように向けられていますよ。私はそう教えてあげたい。
「君はかわいいから、きっと他の誰かがまた助けてくれるよ」
 ほら、ね。彼女はあなたがいいんですよって、彼には言いたい。
 それなりに背が高くてさわやかで、誰にでも優しくできる赤澤湊くんは、人気があります。でも彼はダメなのです。彼に想い人がいることを、私は知っています。
 さて、そろそろ出て行きましょうかね。

 ガサガサ、ガサガサ。突然、脇の草むらから音が立ち、その場にいた二人は肩を揺らした。誰かに見られていたのではないか。そんな緊張もなんのその、素知らぬふりで出てきたのは
「ああ、君か」
「……みゃーこ」
 一匹のブチ猫だった。彼がしゃがんで招くと、警戒もせず寄っていき、そのまま抱き上げられる。
「じゃ、じゃあ私、行くね。来てくれてありがとう」
 そんな彼女に、猫をなでながら微笑みを返した。

 「今度はみゃーこか。君にはいろんな名前があるね」
 だってみなさん、好き勝手に名前をつけますから。もちろん、いいんですよ。私には元々の名前なんてないんです。
「いつもいいところに来てくれる。どこで切り上げたらいいのか、未だに分からなくて」
 そうでしょう、そうでしょう。
「それもこれも、いつも君が来てくれてるからかもしれないけど」
 おや、私のせいにしますか。まあいいです。また見かけたら助けてあげますよ。





 美術部との放課後

 いつものように、放課後のパトロールに勤しんでいたら、急に後ろから声をかけられました。
「あ、いた」
 おや、私を捜していたんですか。一体何の用です?
「こんにちは。僕は美術部で部長をしています」
 もちろん知っています。美術室は一階にあるので、中をのぞくのも簡単だからです。なにより、その色とりどりのエプロンが、彼が美術部であることを物語っていました。
「今日の部活で、キミをモデルにしたいんだけれど、いいかな? よかったら、来て」
 こんなことを言われたのは初めてでした。来て、と言いながらも近づいてくるその腕を見つめます。そのうちに綺麗な手にすくい上げられて、独特な匂いに包まれました。
「ありがとう」
 いいえ。おやすいご用ですよ。
 中庭にいた私は、こうして彼によってひさしぶりの校舎内に訪れることになりました。

 美術室は、彼のエプロンと同じ匂いでいっぱいでした。十人ほどの生徒達が囲む真ん中にテーブルがあって、私は部長によってそこに座らされました。固くて少々居心地が悪いですが、しかたありません。頼まれたからには務めましょう。
 たまにしっぽを揺らしたり、あくびをしたり、顔を洗ったりしながら、私はそこに座り続けていました。ずーっと、ずーっと。引き受けたものの、これは一体いつまで続くのでしょうか。飽きてきた、というわけではありませんよ、もちろん。眠たくは、なってきましたが。そう考えながら時計を見ると、そろそろ時間ではありませんか。私は毎日、決まった時間に決まった場所へ行くことにしています。しかし、ここを離れるわけにも……。
「あ!」
 やはり、我慢ができませんでした。立ち上がり、音もなく床に降りて、そのまま窓まで走ります。美術部のみなさん、ごめんなさい。私には、行かねばならない所があるのです。

 揺れるカーテンの向こうに、一匹のブチ猫が消えた後
「あーあ」
 という声が美術室に満ちた。
「部長、逃げられちゃいましたね」
「残念。みんなだいたいは描けてるだろうから、あとは記憶で補ってね」
「はーい」
 彼女を追いかける者はなく、また全員が絵に向かう。静かな時間が、再び流れ始めた。





 渡辺みよことの放課後

 さて私は、美術室を飛び出して、少し離れた保健室の前までやってきました。
「ちーちゃん、今日も来たわね」
 私のいるグラウンドへ続くドアを開けるのは、渡辺みよこさんです。みよこさんは私のことをちーちゃんと呼びます。
「はい、どうぞ」
 優しく笑って差し出してくれる、ネコ缶。……みよこさんだって、私は好きですよ。一度だけ鳴いてお礼をきちんと言います。伝わっているかどうかは分かりませんが、気持ちが大事なのです。では、いただきます。
「あれ? みゃーこだ」
「お前ここでエサもらってたのか」
 食事中だというのに、話しかけないでください。
「怪我なら早く入りなさいな。ほら、嫌われちゃうよ」
 つい、とそっぽを向くと、みよこさんがそう言いました。二人が保健室に入っても、ドアは開いたままです。きっと、私がいるからなのでしょう。
「怪我をしたのは金子くんね。ここ座って。安井さんは、カードに記入しておいて」
 彼女は安井さん、ね。みよこさんに返事をしてから、廊下側の入り口に向かいます。
「えっと、二年C組だったっけ?」
 消毒が染みるようで、顔を歪めたまま金子くんは大きく首を振ります。
「よし、あってた。ついでに、まさる、って優しいって字でよかったよね?」
 何のついでかはわかりませんが、安井さんは続けて尋ねます。それにも大きく頷いて、私は金子くんが「優」という名前だと知りました。あの子は、知っているのでしょうか。

 ブチ猫がエサを食べ終わる頃、ちょうど二人が出てきた。
「みゃーこ食べ終わってるじゃん。ねえ先生、このまま部室連れてってもいいかな」
「だめだめ。これから二人でおしゃべりするんだから」
 ね、と足下に声をかける。すると猫は、分かっているかのように彼女の足下にすり寄った。





 津村真咲との昼休み

 よく晴れた日のお昼間には、ひなたぼっこをするのが一番です。お昼寝をするのにいい場所は、いくつか知っています。けれど最近は、いつも同じ場所でした。今日もきっと、そこへ行くでしょう。どこにしようか考えながら歩くと、いつの間にか中庭に着いているんです。
「お、来たか」
 この敷地内に猫の友達はいませんが、人間のお昼寝仲間ならいます。二年生の津村真咲くんです。私は、とても大きな彼の肩に乗るのも好きですが、ゆっくり動くお腹の上で一緒に寝るのも大好きです。校舎の壁に沿うように寝転がるのが合図です。
「ノラ」
 呼ばれた私は、できるだけそうっと乗ってから、丸くなりました。それから背中をなでてくれます。大きな手は、私を包み込んでしまいそうなのに、不思議と怖くはありません。むしろ安心して眠ることができます。津村くん、おやすみなさい。





 高木ちよとの放課後

 私は今、一度逃げ出た美術室の、すぐ外にいます。窓はいつも通り開いていて、少し足に力を入れれば、簡単に窓枠に乗れます。それを知っていても、実行することに少し迷ってしまいます。このあいだ、逃げ出してしまったからです。優しい人たちばかりなのですが、あんな風に頼まれごとをされたことはないので、逃げたことも今までなかったのです。どうしようか、私はまた悩み始めました。
「そんなとこでどうしたの」
 いつの間にかうつむいていたようで、窓から出ていた顔に気づくことができませんでした。急にかけられた声は、よく聞く声でした。一年F組の高木ちよさんです。今年現れ出した彼女と私は、一気になかよしになりました。恥ずかしがり屋で、すぐ顔が赤くなってしまう彼女も、猫の私だと話しやすかったのでしょう。私は色んなことを知っています。猫だから誰にも話さないと思っているのです。そうして、たくさんの人からの、たくさんの秘密を預かることになりました。高木さんも、そのうちの一人です。
 どうやら美術室には高木さん以外にいなかったようで、いつもよりももっとずっと静かでした。そうと分かると、私はすぐに足に力をこめます。
「パンダはそこが好きね」
 窓枠に乗って腰を落ち着けると、高木さんは言いました。
「でも、そのおかげで私、ずっと外を見ていても不思議がられないから」
 だからありがとう、と彼女は笑います。この笑顔を、一体何人の人が見たことがあるでしょうか。
「金子先輩、昨日怪我してた。パンダは知ってた?」
 ええ。ちょうどそのときにみよこさんと会っていましたから。
「大丈夫、だよね。今も部活に出てるもん」
 彼女の持つ紙の束が、金子くんで満ちていきます。これも、私だけが知っていること。

 よく焼けた空の下、窓枠で毛繕いをする猫が一匹。それを絵にする少女が、一人。