11 吸血鬼になるということ
 ハロルド・オールコックが十年前、今のような大きな屋敷ではなく、普通の民家に人間として暮らしていた頃のことだ。その頃は吸血鬼らしく、トマトジュースではなく人間の血を飲んでいた。吸血鬼とは本来、恐れられる存在であるために、人間のふりをしていなければどこでも生活しにくいのは当然のことであった。死に至らしめるほど吸血する者など、ほんの、ほんのわずかであるのに。
 しかし、彼の正体を知る人間が、キャナリーには一人だけいた。それが、ソフィアだ。
「ずっと黙ったままでいるのは、本当に心苦しかった。いっそ言ってしまって恐がられた方が楽になるだろうと考えたんだ。でも、彼女は私が吸血鬼と知っても何も変わらなかった」
 その代わり、自分の血だけで生きて欲しいと願った。
「当然私はそれを聞き入れた。吸血鬼として二百年ぐらい生きているが、あんなに幸せだった日々は他にない」
 目に見えて以前よりも仲が深まった二人を見て、キャナリーの人々は喜んでいた。
「彼女の血は最高の味だった。ただの伝説とばかり思っていたが、愛する者の血が極上だと言うのは本当だったんだ。と同時に少し怖くなった。お前も思ったはずだ」
 思い出に耽った緩やかな顔は、アルベルトに向けられると同時に険しくなった。
「そのときすでに、彼女以外の血を吸う気など全くなかった私は、彼女を失った後の人生を考えた。血を吸わずに、一体どれだけ生きられるだろうか」
 ずっと彼の顔を見て話しを聞いていたはずのアルベルトは、いつの間にかうつむいていた。
「今までにもトマトジュースで空腹を紛らわしてきたことが多々あった。だから、それで多少は大丈夫だとは思うが、一体どこまでこの身体を騙せるかが問題だ。……そんなことばかり考えていたよ」
「ソフィアさんが死ぬときに、一緒に死のうとは考えなかったんですか」
「お前はそう考えているんだな」
 双方とも、尋ねる気などなく、決めつけるように言葉を投げかける。
「だって!」
「確かに、彼女の死後、血を吸わなくなった私が短命に終わったとすれば、結局のところ共に死ぬことと変わりはない。ならその時一緒に、と考えたことがなかったといえば嘘になる」
 トマトジュースを一口飲んで、話を続けた。
「大切な人が死ぬことは悲しい。しかし、死んで悲しい気持ちになるのは、何も彼女だけではない。私には大切だと言える人が他にもいる。リックやライナスやドロシー、今はお前達やアルフもいる。年々増えていくんだ、これが」
 困ったような嬉しいような。
「そして、その大切な人達は、同様に私のことを大切だと言ってくれる。それなのに、自ら死ねるか? お前は」
 問いかけたものの
「私には、無理だ」
 答えを求めていたわけではなかったらしく、そのまま話し続ける。ややうつむきながら放った言葉に、誰も何も言えなかった。また一口トマトジュースを飲む。
「ライナス、ドロシー、リックとある約束を交わしているんだ。血を吸わなくてもいいから、自分から死ぬようなことはしない、と。だから私がこれを飲むのは、死ぬためではなく、生きるためで、彼女との約束を破らないためでもある」
 自分の血だけで生きて欲しいと願ったソフィアとの約束。彼女の血を吸うことができなくなった今でも、彼女自身がそれを知らなくても、その約束はハロルドの中で続いている。
「さて、じゃあお前達が一番気になっているだろうことを話そうか。なぜ、彼女が吸血鬼になってしまったのか」
 散っていた視線が、再びハロルドに集まった。

 あれは冬のある日、リックが私の家に訪ねてきたときのことだ。いつも気ままに尋ねてくるやつがその日やってきたのは、珍しく仕事のためだった。
「今回の対象はどんなやつなんだ?」
 寒がりなやつのために、ほっとココアを出してやった。
「男だ。どうも、吸血孤児らしい」
 吸血孤児とは、人間から吸血鬼になったとき、自分がそうなったことを教えてくれる存在がいなかった者のことだ。つまり、血の吸い方、その程度といった基本だけでなく、名前や、なぜ吸血鬼になったのか、そして記憶がないことの説明が一切されずに放り出された吸血鬼なのだ。人間が吸血鬼になるということは、その血を与えた吸血鬼の存在が不可欠である。
「自分がしたことの責任をきちんと取れってんだよ」
「全くだ。……しかし、なぜ彼は吸血鬼になってしまったんだろうな」
「さあな。同じ吸血孤児にやられたのかも」
 吸血方法を教わらない彼らは、誤って人間に血を流し込んでしまうことがあるらしい。そのことによって誕生した吸血鬼は吸血孤児になりやすいと聞いている。負の連鎖だ。
「かわいそうだとは思うが、これだけ被害を増やしてるんじゃ、始末せざるをえない」
 ココアを全部飲み干すと、少しだけ暖炉から離れた。ようやく体が温まってきたのだろう。
「この辺りに出るのか?」
「場所の問題もあるんだが、今回はちょっと特別なんだ。襲う対象に共通点がある」
 このとき、少し嫌な予感がした。
「金に近い茶色の長い髪。そして、若くて美人」
「ソフィア……」
「そうだ。だから俺は、ビビッドでの目撃情報が入ってすぐここに来た。ほんと、無事でよかったよ」
 たまにしか見せない真剣な顔でそう言った。
「そいつ自身は濃い茶髪で、名前はクロードっていうらしい」
「珍しいな、名前があるのか?」
 名前を教えられないまま徘徊することになるのがほとんどなため、吸血孤児に名前があるというのは本当に珍しい話だった。
「ああ。だから、明日にでも町の人達に警戒するように伝えてくれ。吸血鬼ってことは伏せた方がいい。名前と髪色とお前が探してるってことだけ伝えれば十分だろ」
 そう言われた私は、翌朝、知りうる限りの人にこのことを伝えまわった。特徴に当てはまる人物を見つけたら私に知らせてほしい、と。私たちは吸血鬼かどうかの区別は見ただけで分かるが、人間はそうもいかないらしい。それもまた、怯える原因にもなっているんだろう。得体の知れないものは、恐ろしいものだからな。

 「十年前すでに吸血鬼ハンターだった……?」
 そこまでの話を聞いて、サブレが疑問に思ったことはそれだった。
「ずいぶん若い頃からハンターをしてたんだな」
 感心したように言うが、言われている本人はどこかきょとんとしている。そして、合点がいったように
「あ。そうかそうか」
 と、呟いた。それを不思議そうに見やりつつも、食事の手は止めない。
「お前に言ってなかったな」
「?」
 口に物が入っているため、表情だけで疑問であらわす。
「俺、吸血鬼と人間の子なんだよ」
「!」
 咀嚼が中断され、目が大きく見開かれる。かと思えば、一瞬の後、勢いよくあごを動かし、中にあった物を全て飲み込んだ。
「びっくりした?」
 まるでいたずらが成功したかのように口角を上げた。それに対して、未だ声も出せないのか、サブレは大きく首を動かすことで答える。
「ははっ。まあ、混血ってやつだ」
 もう一度、言った。
「じゃあ、半分吸血鬼で、半分人間、なのか?」
「だからさっきからそう言ってるだろ。まだ混乱してるのか?」
 残り少なくなってきた料理の中、一つの皿を持ち上げて
「ほら、食べろ」
 目の前の彼に差し出した。
「もうこの続きは外でいいだろ」
 つまりこれ以上聞かれてはまずい話はない、ということだろうか。
「食べて、外に出るぞ」
「……わかった」