07 同じ名前の男(後)
 一応おとなしくはなったが、何かあっては困る、というよりかは面倒なので、イスに縛り付けられている。何の抵抗もなくうなだれている。
「で、なぜ私を襲いに来た」
 暖炉室の中央に運ばれたイスと、その前に立つハロルド。アルフはまだコウモリのままで、部屋の天井にぶら下がっている。
「俺には父と母と妹がいた」
 突然始まった家族の話。
「妹はまだ幼くて、いっつも俺の後をついて歩いていたんだ。笑顔がかわいらしい子だった」
「何の話だ」
 眉をひそめて尋ねるが、男の話は止まらない。
「父さんは釣りが好きで、俺たちはヴェールティユールに住んでいたんだが、大きな湖のあるヴァイオレットまでいつも出かけていた。その日の収穫が食卓に並ぶことだってよくあった」
 ここで一度、口を閉ざした。だんだんと体が震え始める。
「母さんは、町一番と言われるほどきれいで、自慢の母親だった」
 声にも震えが混じる。まだ、顔は上がらない。
「よく働く、優しい母さんだった。母さんも父さんも妹も、大好きだった」
 後ろ手に縛られた手は拳をつくり、これでもかというように固く強く握りしめている。そしてとうとう、うなだれていた顔が持ち上げられた。唇を噛みしめ、大きく開いた目には涙がたまり、その表情から読み取れるのは、悲しみと苦しみと、悔しさ。
「そんな! そんな俺の家族は吸血鬼に殺された!」
 ハロルドと同じ黒い髪は涙で頬に張りつき、すぐに伏せられたきれいな深い青の目に一瞬宿ったのは、憎悪だった。
「あいにくだが、私にはお前の家族を殺した記憶がない。そもそも人間を殺したことなどない」
 静かに言い放つ。
「そんなこと、顔を見たときに分かっていた」
 今度は窓の方に顔を向ける。
「じゃあなぜそれでも襲いかかってきた」
 ハロルドの視線の先は変わらない。
「同じ吸血鬼だ。特徴を言えば、あいつがどこの誰だか分かるかもしれない。だから、弱らせてから聞き出そうとした。……何も効かなかったが」
 少し、気持ちを落ち着かせたようだ。淡々と言葉にした。
「なるほどな。お前復讐をしたいのか、その吸血鬼に。それなら、吸血鬼ハンターを紹介してやる。安心しろ、腕は確かだ」

 何がどうなっている。どこで俺は間違えた。どうして吸血鬼に吸血鬼ハンターを紹介されることになっているんだ。いや、それはありがたいのか。でも絶対に何かが間違っている。そもそも、ニンニクや十字架や太陽の光が弱点じゃないのがおかしい。もしかしたらおかしいのはこっちなのか? 誰だ、最初にそんな誤った情報を流したのは。
「アルフ、リックを呼んできてくれ。あの男は寒がりだからきっとビビッド地方のどこかにいる。私の名前を出せば、みんな協力してくれるはずだ」
 リックという名前の男が、紹介される吸血鬼ハンターだろうか。じゃあ、アルフってのは誰だ。誰に向かって話しかけているんだ、こいつは。
「お前と契約してよかったよ。リックには音波じゃ連絡がとれないからな。頼んだ」
 そう言ったあと、コウモリが一匹、ハロルド・オールコックの周りを一周して窓から出て行った。
「契、約?」
「ああ、今のコウモリは、私と契約して人型になれるようにしたコウモリなんだ。その辺りのこともリックに聞くといい」
 人型になれるコウモリだと? そんなもの聞いたこともない。
「しかし驚いたな。まだここに住んでいるのが吸血鬼だと信じている人間がいたなんて」
 どういう意味だ。今目の前にいるのは吸血鬼ではないのか。
「昼間から活動していたりするからか、徐々にそれは単なる噂だと思う人間が増えたらしい。今ではもうこの町の人以外信じていないかと思っていた」
 それでも観光名所として活きているのは、この屋敷の見た目がそうさせるのだろう。
「そう言えば、まだ名前を聞いていなかったな。私は知っての通り、ハロルド・オールコックだ。お前は?」  どうして敵と同じ吸血鬼に名前を教えなきゃならないんだ。そう思ったはずなのに、俺の口は勝手に動いていた。
「クロード・サブレだ」
 すると、やつの雰囲気が一瞬にして変わった。これは動揺だ。全身からとまどいがあふれ出ている。俺の名前がどうかしたのだろうか。家族を襲った吸血鬼でないことは俺自身が証明している。じゃあ、どうして。
 それから二時間くらい経っただろうか。見える位置に時計がないので憶測だ。その間、俺たちの間に会話は一切なかった。そんなことを考えている折だった。もう真夜中とも言える時間帯に騒音がやってきたのは。
「おーい、ハロルド。来てやったぞー」
 動揺が、消えた。
「はあ。全くあいつはいつもいつも」
 呆れたような声色のハロルド・オールコックは、一度大きく息をついてから、部屋を出て行った。

 リックさんは吸血鬼ではないとマスターから聞いている。でもいつだったか、自分のことを人間でないと言っていた。どちらも嘘とは思えないから困る。
 ビビッド地方にある、トーンと隣あわせの街、カーマインでリックさんを見つけた。僕は特別なコウモリだから、三十分近く飛べばビビッドに入ることができた。そこからコウモリ達を集めて協力を仰ぎ、目標を見つけた。普通の人間ならば、ここから電車に乗って、それがなくなればバスに乗り、それでもアッシュローズまでは行けないので、最後は徒歩で行く。合計すれば一日がかりの移動のはずだ。それを覚悟して駅の方へ向かったのに
「どうしたんだ? そっちはアッシュローズじゃないだろ」
 そう言って、まっすぐ家のある方へ走り出したのだ。その走りに迷いなんてなくて、リックさんからは、いつも使うよく知った道を走っているというような感じを受けた。
そうしてそのまま僕の前を走り続けて、とうとう予想よりもずいぶん早くアッシュローズの家に着いてしまった。カーマインから家まで、人間でも吸血鬼でもない彼は、僕と同じ速さで移動した。
「おーい、ハロルド。来てやったぞー」
 ああっ、僕が考え事をしている間に!
「ちょっと、リックさん!」
 またマスターを困らせてしまった。
「こんな夜中に大声を出されては困ります! 近所迷惑です!」
 できるだけ小さな声でリックさんに訴えかけていると
「よく言ったぞ、アルフ」
 マスターの声がした。まだ階段を下りている途中だったけど、とても静かだから僕の小さな声でも聞こえたんだろう。マスターにほめられて嬉しくなった。下を向いて小さく笑む。
「おいハロルド。最近アルフの言うことがお前に似てきてないか?」
 それを聞いて、僕の頬はまた一段とゆるむことになった。
 マスターが暖炉室の扉を開けると、出て行ったときと全く同じ光景が広がっていた。つまり、イスにぐるぐる巻きにされた男の姿。
「リック、ある程度の説明は聞いたか?」
 道中、事の流れは話しておいたから、大丈夫です、マスター。
「ああ。復讐したい吸血鬼がいるんだってな」
 扉付近で立ち止まったまま話を続ける。
「そうらしい」
「で、お前の名前は? 俺はリック・フィールド」
 リックさんはそこで初めて男を見た。そう言えば僕も名前を聞いていなかったし、教えていない。あとで自己紹介をしないと。そうして男はなぜかマスターの顔色をうかがうようなそぶりを見せ、口を開いた。
「ク、クロード・サブレ、だ」
「リック!」
 何が起こった。素早くて見えなかった。とにかく、今の状態から推測すると、男を攻撃しにかかったリックさんをマスターが止めた、というところだろう。最後の所しか僕には見えてないけど。男の首に当てられたナイフを持つリックさんの手は震えていて、マスターが止めなかったら、確実にそれは喉をかき切っていたと思う。リックさんの顔は、マスターに襲いかかってきたときの男の顔に似ていた。
「リック!」
 手を離さずに、マスターがもう一度名前を叫んだ。
「あいつとは違う! こいつは人間だ! 分かってるはずだ」
 どういうことだろうか。男もナイフを当てられているにも関わらず、恐怖ではなく興味をその顔に浮かべている。
「あいつは、十年前、お前がその手で殺した。この世にはもう、存在しない」
 ああ、また僕の知らないことだ。

 ハロルドが静かに、諭すようにそう言うと、リックは
「ああ、そうだったそうだった。思い出した。大丈夫だ。もう解った」
 腕を降ろした。サブレとアルフの顔は何か聞きたそうな雰囲気でいっぱいだが、二人とも説明はしないつもりらしい。
「そうするとあれか。俺は弟子になるやつを殺してしまいそうになったわけか。危ない、危ない」
 はははと笑っているのはもちろん彼だけ。
「でも困ったな。名前が呼べない。……よし、お前改名しろ」
 突然襲いかかったあげくに改名しろときた。本当にこの男について行っていいものかとサブレが悩み始めた頃、
「サブレと呼べばいいんだ。いいか、お前も、今後名を名乗るときはサブレとだけ言うようにしろ。次はないかもしれないからな」
 との言葉が。かなり理不尽だが、「クロード」という名前に何かあることは分かったのだろう。渋々といった感じではあったが、頷いた。それを見たハロルドはサブレの縄をほどいてやる。
「じゃあ行くか。さっさとここを出るぞ。ライナスが来たら面倒だ」
「え、もう行くんですか」
 さっきまで固まったままだったアルフが、その言葉に動き出した。
「言っただろ。ライナスが来ると面倒なんだ。あと、ここは寒い」
 後半の方が理由の大部分を占めているような気がしないでもない。
「ああ早く行け。私はもう寝たいんだ。本当なら、もっとずっと早くに寝るはずだったのに」
 ぶつぶつと言いながら暖炉の火を消しにかかる。その背中に向かって
「今から寝るのか? もう外は夜明けだぜ」
 笑いを含んだ言葉が。バタンと扉が閉じられると、盛大なため息が部屋に響き渡った。