06 同じ名前の男(前)
 ウェルナー国にも春が訪れ、アッシュローズへと帰る季節になった。中央に比べるとやはりまだ寒さは残るが、暮らす分には支障がない程度だ。すれ違う人々に帰還を喜ばれ、時にはアルフを紹介したりしながら屋敷へと向かう。途中、そういえば、と男性が私達を呼び止めた。
「一週間ぐらい前かな。妙な男が来たんだ」
 そうそう、と一緒にいた息子も話す。
「吸血鬼の屋敷はどこだー! って言ってた」
「パン屋の主人が『ハロルドさんの屋敷はあれだが、冬の間は中央にいるんだ』って教えてやったのさ」
「そしたらね、今度は、いつ帰ってくるんだって叫びだして」
 この静かな町でそれだけ騒いでいたなら、すでに町の人々はみんな知っているのだろう。
「ああ、その男ならまだ居座ったままだよ」
 通りすがりのおばさんまで会話に飛び込んできた。
「私に何か用だろうか」
 そう呟くと
「そうだとは思うけど、気をつけなよ」
「何かあったら、うちに泊まればいいから」
 次々に投げかけられる心配の言葉。そして、最後の男の言葉にふと疑問を浮かべる。
「で、その男は今どこに?」
「あんたの家の前さ。ずーっとね」

 屋敷の前に着くと、町の人達が言っていたとおり、見知らぬ男が座り込んでいた。ただし、
「寝てますね」
「ああ、寝てるな」
 首が据わっていなかった。客人かどうか分からないので、起こしてやるか迷ったが、面倒事の予感がしたので放っておくことにした。
「いいんですか?」
 門を振り返って尋ねてくる。
「かまわん。さ、早く入れ。大量のそうじが待ってるぞ」
 冬の間に積もったほこりや汚れを落とさなければならないのだが、これが毎年大変なのだ。今年から二人になって、少しははかどると思いたい。この時ばかりは、広すぎる家も困りものだと実感するのだ。
 手始めに、寝室から取りかかることにした。それから談話室、風呂場へと移動していこう。今日の所はきっとそこまでしか終わらないだろう。必要最低限の場所だけきれいにできれば後は明日以降でも別にかまわない。ただ、アルフの部屋だけは早くしてやりたい。そんなことを考えながら窓を拭いていると、外に見えたのはまばらな緑とあの男。どうやらまだ寝ているらしい。不規則に揺れる頭がそう告げていた。
 暖炉室をそうじしている途中で、部屋にあった時計が十二回鳴った。だが、もう少しで終わりそうだったので、そのっま続けることにする。あの男はまだ目覚めない。夜行性なのだろうか。しかし町人が言うには、男が来たのは昼間のことだ。まあ、そんなことはどうでもいいか。真実がどうであれ、やつが厄介者であるだろうことに変わりはないし、この作業がはかどるわけでもない。
「マスター?」
 いつの間にか手が止まっていたようだ。様子をうかがうように下からのぞき込まれる顔があった。
「あ、ああ、すまない。どうした?」
「こちらが終わりましたので、トマトジュースでもと思ったのですが、この屋敷が初めてですので、場所が……」
「そういえばまだ案内してなかったな。食事がすんだら行こうか」
 言いながら最後の窓ガラスを拭き終え、振り返る。わくわくしている目に思わず笑みがこぼれた。もうこの行為にも随分と慣れた。私も、アルフも。

 日が落ちて、町がだんだん静かになると、夜がやってくる。目標としていた部屋のそうじも終わり、二人そろって談話室でゆっくりしているところだ。文字が読めるようになったアルフは読書家になった。
「そろそろ寝るか?」
 血を吸う必要のない私の夜は早い。人間が寝入る隙を狙わなくてもいいからだ。
「はい」
 返事をしたアルフは読みかけの本をイスに置き、暖炉の火を消す作業に入る。私はふと気になり、窓の外に目をやった。彼はまだ寝ているのだろうか。
「あ」
「どうかしましたか? マスター」
 声をもらした私にアルフが尋ねる。
「いや、なんでも」
「なぜだー!」
 ない、と続けようとしたものの、外からの大声に阻止されてしまった。私が窓の外をのぞいたとき、ちょうど彼が起きる瞬間だったのだ。静かな町に、いつかと同じく騒音が響き渡った。

 少し前にさかのぼる。そう、ハロルドが窓の外をのぞいたときだ。彼の家の前で寝ていた男は、目を覚ました。そして、空を仰ぐ。すでに星が瞬く空だった。これまでと同じように、家主である吸血鬼の帰りを待つため、夜という時間帯に起きた。吸血鬼の弱点は太陽だと信じているからだ。
 ふと、いつもと何かが違うような感覚が彼を襲った。はっきりとは分からない何か。そしてそれは、ほとんど無意識に後ろを振り返った瞬間だった。
「……窓に、明かり」
 もちろん、ハロルド達である。次に、理解する。吸血鬼が帰ってきた、と。
「なぜだー!」
 思わず立ち上がり、大声をあげた。

 先程からこの短時間でどれだけため息を吐いたことか。憂鬱な気分を抑えきれずにもう一度はき出すと、隣から心配そうな視線が向けられる。たどり着いてしまった扉では、部屋を出たときから聞こえていた、ドンドンという大きな音がしている。
「たぶん大丈夫だとは思うが、念のためにコウモリになって天井にでもいなさい」
「はい、マスター」
 答えたアルフは音もなく一瞬でコウモリの姿に戻り、飛んでいった。
「さて。今開けるから、あまり大きな音を立てるな」
 後半、少し大きな声で言うと、扉の向こう側は静かになった。そして、少し間を空けてから扉に手をかけ、ゆっくりと開いていく、はずだった。
「おい! お前が吸血鬼のハロルド・オールコックか!」
 向こう側から強制的に空けられた後、大きな声をあびせられた。

 いたって冷静なハロルドと、激情した男。いきなり彼に突っ込んで行っても、かわされるのは当然だった。
「とりあえず落ち着け。もう夜も遅い」
 町の人たちに迷惑をかけたくないという思いからの発言だろう。しかし、そんなことはこの男には関係ない。
「うるさいっ!」
 なにやらごそごそと脇に抱えたカバンをあさる。うるさいのはそっちだろうと思っても口には出さない。顔には惜しげもなく出されているが。
「これでもくらえ!」
 そう言ってハロルドに向かって大量に何かを投げつけた。余裕の表情でそれを避けながら、そのうちの一つを受け止めた彼は、手の中を見つめる。ニンニクだった。振り返れば床のそこかしこに転がっている。
「くれるのか? アルベルトが大好きなんだ。ありがとう、今度渡すことにする」
 この言葉に男は焦りを見せた。
「くそっ、これならどうだ!」
 次にカバンから出てきたのは小さめのロザリオ。
「ん、なんだ? お前カトリックなのか。ちょうどいいじゃないか。この町の教会はカトリックだ。夜が明けてから行くといい」
 相次ぐ攻撃と思われるものを、なんともなしに対応していくハロルドに、男はたじろぐ。何だお前は。表情がそう語っている。
「どうして効かないんだあああ!」
 今度は直接襲いかかった。伝説として語られているニンニクも十字架も効果がないのだ。実力行使しかないと思ったのだろう。しかし仮にも吸血鬼だ。普通の人間よりも身体能力はかなり高い。そんなハロルドに勝てるはずもなく、決着はすぐだった。もちろん捕らえられているのは男の方だ。
「今日はもう眠いんだが、しかたない。話を聞かせてもらうぞ。……来るなら昼間の方がまだよかった。やはりあのときに起こすべきだったか」
 ハロルドのつぶやきを耳に入れた男はとうとう言葉にした。
「本当に吸血鬼か?」