03 時代遅れの契約
 十年前まで、南方のビビッド地方にあるキャナリーに住んでいた私にとって、ウェルナー国最北のアッシュローズの冬は厳しすぎる。だから、年々日数は減らすものの、中央であるトーンで冬を越すのはもう恒例になっていた。
 駅に降り立った私を迎えるのは、今までいた町とはまるで違う景色。だけど、見慣れた景色でもある。毎年冬になるとやってくる街に、木枯らしが吹く。大通りに人影は少なく、コートの前をきっちりと閉じた人達が足早に通り過ぎていく。落ち葉、新聞紙、誰かのボール。人だけでなく、色々と目の前を横切っていく。あれ、今のは何だったんだ。何かがコロコロと通りを横断した。無意識に目で追った先には黒い塊。
「どうしてこんな都会に……」
 近づいて拾い上げてみると、気絶したコウモリだった。少し翼を傷つけてはいるものの、死んではいないようだ。まだ暖かく、呼吸をしている。そのまま、こちらの家に連れ帰ることにした。
 私が借りている部屋は、トーン一安いことで有名な五階建てアパートの二階にある。基本的に金のかからない生活をしているので、私が稼いでいるそれは全て、この冬越しのためだと言っても過言ではない。
そして大家さんに一言あいさつをして、部屋に向かった。久しぶりに開けたドアの向こうには、懐かしさを感じる。さて、こいつの手当が終わったら、とにかくそうじだな。そう考えながら、窓を開けた。
 あれから一週間が経った。コウモリは二日で目を覚まし、包帯は昨日とれた。つまり、元気になったのだ。それなのに、今だリビングの窓枠にぶら下がっている。
「お前、ビビッドに行く途中なんじゃないのか?」
 音波で返事が届く。
「もういいにしたって、そこで私の従者になる理由はないだろう」
 窓際のソファに腰を落ち着け、トマトジュースを飲みながら言った。また返事が聞こえた。
「お礼だって言われても……」
 昨日からこれの繰り返しで、先が見えない。こいつが言うには、ビビッドへ行く途中、ここトーンで突風に吹かれ、街路樹にぶつかって気を失ったらしい。そこへ私が現れたというわけだ。
「私の周りじゃ、コウモリを従者にするなんて一昔前の話だ」
 そういう契約があることは知っている。儀式のやり方ももちろんのこと。だからといって契約したいと思ったことはないし、昔はそういうこともやっていたという認識があるだけだ。実際、アッシュローズのコウモリ達も、私の手伝いはしてくれるが、従えている訳ではない。友人のようなものだ。んー、困った。
 次の日も状況は変わらず。窓際のソファに私が座り、窓枠にはコウモリが。そういえば、今日はリックが遊びに来るとか言ってたな。ついでに相談してみるか。そして、リックのためにコーヒーを淹れているとき、
 ――ドンドン、ドンドン。
 ドアが叩かれた。いいタイミングだと思いながら外をのぞき、リックを確認してからドアを開けた。
「よ、久しぶり」
「ちょうど今、コーヒーがはいったところだ。寒かっただろ。早く入れ」
 ぶ厚いダッフルコートにマフラー、ニット帽、さらに耳当ても手袋もして、防寒対策万全の彼は、それでも寒そうにふるえていた。言っておくが、トーンはそれほど寒くはない。ただこの男が寒がりなだけだ。
「おい、あれはコウモリか? まさか、アッシュローズから連れて?」
 さっそく窓枠に目をとめて聞いてくる。
「いや、駅前の大通りで拾った。怪我をしていたから手当をしてやったんだ」
 言いながら私はダイニングのイスを一つ、ソファの近くまで引っ張って置いた。
「ここでか。珍しいな」
 リックは防寒具をまとめて部屋の隅にやると、ソファに座って私が置いたコーヒーに手を伸ばした。
「もう見た感じでは元気そうだぞ」
 一口飲んで、告げる。その通り、もうすっかり元気なのだ。
「まあな。だが……」
「気に入られたとか?」
 いたずらっぽい微笑みに、肯定を示す。そして私も少しグラスの中身を減らしてから
「契約してくれと言ってきた」
 コウモリの方に視線をやりながら言った。
「契約……」
 そう呟きながら、その言葉の意味を思い出そうとしているようだ。ほら、契約なんてやっぱりもう廃れた文化なんだ。
「――ああ、人型になれるだとか、主人が死ぬまで死なないとか、だっけ?」
「そうだ」
 後は、契約したコウモリは主人の血を吸って生きる。というのもある。
「で、ハロルドは何を迷ってるわけ?」
「は?」
 冷えた手にすっかり熱を奪われて、ぬるくなってしまっただろうカップをテーブルの上に置いた。
「別に契約したっていいんじゃないの? 向こうから言ってきてるわけだし。断る理由なんてある?」
 リックがそう言った途端、大人しくしていたコウモリが突然飛び立ち、彼の周りをパタパタしだした。
「うわ、何だこいつ」
「喜んでるんだ。味方だと思って」
 さっきからうるさいほどに聞こえてくる、喜びとリックを讃える言葉。
「いつもは不便だと思うが、今は超音波が聞こえないお前がうらやましい」
「まあな。その辺は人間らしいから。視力も聴力も体力も筋力も、普通よりちょっといいだけだし、血を吸う必要もない。トマトだって俺は嫌いだ」
 私の持っているグラスを見て、表情を歪める。
「俺を人間でなくさせてるのは、この、寿命だけだ。さて、話がそれたけど、契約してやれば? これだけ喜んでるんだ。よっぽどお前の側にいたいんだろ」
「そんなこと言ってるが、お前、ただ契約するのを見てみたいだけだろう?」
 この男はそういう男なのだ。
「ま、それもある。コウモリが人型になれるなんて見たこともないからな」
 やっぱり。興味津々にこちらを見てくる。コウモリもうるさいくらいにせがんでくる。どうして私はこいつに相談しようと考えていたんだ。
「従えるというのはあまり好きじゃないんだ」
「雇ってるとでも思えば? 確か、主人の血を吸って生きるんだろ? それが報酬ってことで」
 それも知っていたのか。
「いや、それはそれで……」
「そんなに難しく考えることでもないと思うけど?」
 軽く言ってくれるが、私には他にも色々と、考慮しなければならない問題があるんだ。とか思ったところでそれを口に出せる訳でもなく。ああ、もう、考えるのが面倒になってしまった。
「――分かった、契約しよう」
 言ってすぐ、コウモリとリックは喜び、飛び回り、飛び跳ねる。これだけ喜んでもらえたら、悪い気はしないな、と主にコウモリの方を見ながら思った。そしてしばらくすると落ち着いたのか、私の周りを飛び始める。
「じゃあ、始めようか」
 伸ばした左腕の向こうに興奮気味のリックが見える。やがてコウモリは、返された手の指先にかぷりと牙をたてた。流れ出る血が舐められるのを眺めながら
「よろしく、アルフ」
 と呟く。これで契約は成立だ。
「アルフ?」
「主人がコウモリに名前を付けることによって契約の儀式は完了する。つまり、こいつは今からアルフだ」
 すると、感心したように、リックはまだ血を舐めているアルフを見やる。
「さあ、それくらいにして、とりあえず人型になってくれるか」
 私がそう言うと、アルフは指先から離れ、私達から少し遠ざかった。そして、一回転する。
「おお!」
 一瞬だった。小さなコウモリの代わりに現れたのは、茶髪で深い緑色の目をした少年だった。
「改めまして、こちらこそよろしくお願いします、マスター」
 にっこりと笑う様はとても愛嬌がある。
「あ、俺はリック、リック・フィールドだ。よろしくな」
 リックが手を出すと、
「はい、よろしくお願いします。それと、先程はご協力ありがとうございました。おかげで恩返しができます」
 とても嬉しそうに、そして少し照れくさそうにそれを握り返していた。