幸せ者の敗北宣言
 「負けたよ」そう言ってキミは笑った。

 私もう死んじゃうんじゃないかと思った。それぐらい鼓動は速くて、息は詰まって。そんな中、もうどうにでもなれ! と、彼の靴箱にこっそりとメモを忍び込ませた。
 『放課後、教室に残ってください』
 緊張して字が震えていたかもしれない。でも、それが私の精一杯。名前も書けない私のちっぽけな勇気。でも、これまでの勇気全部をふり絞った。

 いつもよりずいぶん早く学校に着いて、靴箱にメモを入れて、誰もいない教室で深呼吸をした。それから今日一日かけて、彼のことを知って、好きになって、どうしようもなくなるまでのことを振り返っていった。まるで走馬灯みたい、なんて思う。今日でなくなってしまうかもしれない、私の大きくなった恋心。風船みたいに膨らんでいるけど、きっと彼の言葉で張り裂けちゃうんだ。そんな風に悪いことばかり考えてしまう。プリントを後ろから集めていくときの指先とか、友達と話すときの声とかを思い出すと幸せになれるのに。昇降口で会えばあいさつしてくれるけど、教室で会った日は気づかないのか何も言われないのは、みんなの前では私に話しかけたくないのかな。あんなやつと話してるところを見られたくない、とか思われてるのかな。今まで気にしなかったことまで考え始めて、もうだめだ。放課後までもつのかな、私の色々。「おはよう」の瞬間を頭に浮かべる。彼の表情、声、あの瞬間だけは私のものだと思える。よし、少しだけ気分が浮上してきた。

 長いようであっという間だった授業時間が終わる。何にも耳に入ってこなかったのは、許して先生、今日だけだから。
 いつものように友達と連れ立って教室を出た。こうして特に誘う言葉もなしに毎日一緒に帰るのは、それが互いに当たり前だからなんだろう。でも、今日だけはごめんね。
「あ。机に忘れものしてきちゃった」
 靴に手をかけた状態で、ぼそりと呟く。
「明日いるやつ?」
 少し離れたところから聞かれる。
「そう、明日期限のプリント。……取ってくるから先、帰ってて」
「待つよ?」
「や、大丈夫。ごめんね」
 そう言い捨てて、人の流れとは逆に歩き出した。まだ教室にいてくれてるかな。誰もいなくなったからって、帰ったりしてないかな。お願いだから――待ってて。
 ぽつりぽつりと人の残った廊下を抜けて、私のクラスまでやってきた。少し間ドアから中をのぞく。
「うそ」
 ちゃんと待っていてくれたんだ。自分の席に座って、携帯をいじっている彼を見つけた。二回、深呼吸をして、不自然でないように「いつも通り」を意識してそのドアを開けた。
「あ」
 私と彼の声が重なる。
「わ、忘れもの、しちゃって」
 ドアの前で聞かれもしないのにそう言う私はひどく滑稽だろう。でもほんと、いっぱいいっぱいだったの。
「そう。どうぞ?」
 手のひらを返して、自分の席の前方へ手をやる。彼の二つ前の席が私なのだ。うつむき加減で自分の席へまで行き、机の中をあさる。そうして出した一枚のプリントは、本当に明日出さなければいけないもの。わざと、置いておいた。それをカバンの中にしまっていると、
「なんだ。ほんとに忘れものしたの」
「え?」
 思いがけず声がかかる。勢いよくそちらを向いたけど、彼の視線の先は相変わらず携帯だった。
「別に」
「……誰かを、待ってる、の?」
 私は今、息をしているだろうか。

 「まあね。だけどもう帰ろうかな」
 携帯をポケットにしまいながら立ち上がった。
「……待たなくて、いいの?」
 顔はうつむいたまま。
「だいぶ待ったからね。一緒に帰らない? 俺、お前が好きなんだけど」
「え? ちょっと、え? 何、今、なんて」
「だから、好きなんだってば。メモが誰からか、字でわかっちゃうくらい」
「うそ」
「ほんと。で、どうなの」
「私も、好き、です。……ていうか! 私が! 先に!」
「はいはーい。こういうのは言ったもんがちですから」
「何、もう。いいよ、負けたよ」
 そう言って、キミは笑った。おはようのときと同じ、少し照れくさそうな顔で。いつもと違うのは、キミの瞳に涙がたまっていたことと、俺の耳が赤いこと、かな。