飲み込んだ羽の行方
 「君の魔法をといてあげる」
 そう言って、少年は突然に現れたのだった。少しばかり、昔のこと。

 道を歩いていると、彼はよく立ち止まることがある。大抵そんなときは空を見上げていて、鳥が飛んでいたりすることもしばしばだ。今日もまた同じく、晩ご飯の買い出しに向かう途中で立ち止まった。視線の先には、カラスがいる。
「かえりたい?」
 思わず、絞り出したような声になってしまった。
「……空に、ってこと?」
 空から視線を移した彼に、無言で頷く。ああ、気を遣わせてしまったかもしれない。
「そういうのはあんまりないかな。ただ、まだ人間に慣れてないから」
 ほら、寂しそうな顔をしているくせに、嘘ばっかり。
民家の上空では、道なんて関係ないように鳥たちが飛び回る。彼は、つい最近までそれだった。いやもっと言えば、ずいぶん前は人間だった。人間だったのに、カラスになり、そうして人間に戻って僕の隣を歩いている。
「僕、人間をカラスにする魔法を覚えてこようかな」
 真っ黒な髪は、元からだった。カラスになったのも、そのせいかもしれなかった。僕は、覚えている。彼がかつて人間だった頃のことを。
「ばか言え」
 それだけ言って、再び歩き出した。スーパーまではまだ少しある。
 彼は、覚えていない。まるでなにも。かつて少女だった僕と、未来を誓い合ったことも。僕が彼を捜していた期間は、もう何百年にもなっていた。その間に何度も生まれ変わり、そのたびに約束の彼を捜し続けた。「どんな姿になっても、君だとわかるよ」という言葉を信じて。けれど、覚えていたのは僕だけだったし、約束の人だとわかったのも僕だけだった。同じカラスのまま、同じ期間だけを生きてきた彼は、どうやら人間だった頃を忘れてしまっていたようだ。
 ヨウスケ、と仲間に呼ばれていたらしい彼の名前には、まだ慣れない。僕も、彼に沢田と呼ばれることには慣れないままだ。
「リク」
 ほらね。振り向いてくれない。そう、思っていたら
「元は人間だったって言うし、二足歩行も自然にできた。確かに、お前が羽を抜いて飲み込んだら人間になった。魔法をかけられてたなんて、嘘みたいだとは思う。けど、その事実があるから、まあ、お前のことは信用してもいいかなって」
 決してこちらは見ずに、ゆっくりと話した。
「リク」
「そうやって呼ばれる名前も、なんとなくくすぐったい。長い間ヨウスケだったから反応はしにくいけど、嫌じゃあないよ」
 僕たちの頭上を、また一羽のカラスが過ぎていく。
「マリ、だよな」
 そのカラスが、羽を一枚、落としていった。
「そう呼んだ方がいいんだっけ」
 あれを飲み込んだら、あのカラスは人になってしまうのだろうか。
「いや、いいよ。沢田でも。君に呼ばれるのなら、なんだって嬉しいから」
 けれど、かの魔法使いが言っていたような気がするのだ。彼の魔法は、僕にしかとくことができない、って。
「カエルにする魔法なら、知ってるんだ。カラスじゃなくてもうしわけないんだけど」
「だから、気にしなくていいって」
 夕暮れ時になると、とりわけ空を見上げる彼に、見つけない方がよかったんじゃないかと思ったことも一度や二度ではない。

 通い慣れたスーパーに着き、予定通りのものをスムーズに購入する。見た目は少年の僕と、今は青年になってしまった彼とでは、兄弟あたりに見えているのかもしれない。自動ドアが開いて、さわやかな空気の中に放り出される。この時期は、店の中と外との気温差があまりないから、体が驚かなくていい。

 「晩ご飯、楽しみだな。なんだっけか。おむらいす?」
「そうだよ」
「俺、あれ好きなんだ。けちゃっぷとか特においしい」
 君のためなら、僕は何だってできるようになっていく。魔法をとく方法を知るために、魔法使いになってしまうほど。オムライスが好きだというのなら、得意料理にしよう。カエルになりたいのなら、魔法をかけてあげる。カラスに戻りたいというのなら、それを探す旅に出る。もちろん、君もつれて、ね。
「沢田、何考えてるんだ?」
「んー、内緒だよ」
 言いながら、なぜだかクスクスと笑ってしまう。いつの日か飲み込んだリクの羽が、お腹をくすぐっているようだった。