03
 絶対あの奥に王様がいるんだと思っていた扉が開かれていく。予想を裏切らず、赤いカーペットが扉から一直線に敷かれていた。ジーパンにTシャツ、挙げ句の果てにはビーチサンダルという今の私の格好が今更のように恥ずかしくなってきた。こんな格好で王様なんて高貴な人に会ってもいいんだろうか。恥ずかしくて上を向けずに、前を行く麓尺さんの足下を見て歩いていた。視界は絨毯とマントのせいで真っ赤だ。そんなときでも変わらず間抜けな音を出す自分の足音が少し恨めしい。そんな格好で来るなんて無礼だと、いきなり追い返されはしないだろうか。帰る場所なんてないからそうなったら困る。というか私、これからどうなるんだろう。
 前を行く麓尺さんが立ち止まったので、私も当然そこで止まる。そして片膝をつき、右手の拳が床に降ろされた。それを見て私も真似をする。何も分からないのだから、分かっている人に倣うのが一番だと思った。すると私の後ろにいたアオイさんが隣に来て、同じようにした。どうやらこれで正解だったらしい。よかった。
「連れて参りました」
 静かな声が聞こえた。広い部屋だろうに、人の気配は全然なくて、たぶん私たち以外には王様しかいないんじゃないだろうか。
「顔を上げて」
 柔らかな声がした。ちらりと隣を見ると、アオイさんがうつむいていた顔を上げるところだったので、私もそうする。緊張しながら視線をだんだん上に向けていく。少しずつ動くたびに心臓の音が速まっていく気がした。赤い絨毯は三段ある階段まで続いていて、さらにその先までありそうだった。すらりとした足が見える。どうやら立っているらしい。麓尺さんと同じような、けれど少し違ったブーツを履いたその足を終え、胴体に入り、視線は胸元へ。やがて、綺麗な顔をした人と目があった。目を見張ったのは私と彼と、どちらが早かっただろう。高い窓から入ってくる光に照らされた、限りなく薄い金の色をした短い髪。白く、それでいて健康そうな肌。優しく澄んだ碧い瞳。まさに、美しい人。
「聞いていたとおりだ」
 彼もまた私の顔を見て驚いてはいたが、もちろん私の驚きとは別だろう。
「初めまして。私は現国王の一色奏。君は本当にショウカ様によく似ているね」
 やっぱりそうだ。みんなして似ているとは言うけれど、実際どれほど似ているんだろうか。……って、あれ? 名字があるの?
「ほら、佳月ちゃん、あいさつしなきゃ」
 王様の自己紹介に少し戸惑っていると、アオイさんが隣から小声でそう言ってきた。
「あ! すいません! 初めまして、葉桜佳月です」
 すると、方々から声が上がった。
「待って、君には、名字があるの?」
 どういうことだろう。
「さっき自己紹介したときには、名前しか教えてくれなかったよね?」
「あ、あの時は、こちらの世界ではそういうものなのかな、って。だから、私も名前だけ言ったんです」
 何となく分かってきた。
「つまりあれかい? 君の世界では全員が等しく名字と名前を持っているってこと?」
 本当に私、違う世界に来ちゃったんだ。
「はい。こちらでは、違うんですね?」
「違うんだよ。私を含めた王族は一色。王族の分家のような家々は錦。代々国衛兵を輩出してきた家は三鷹。そして一定以上の資産を持つ家は四和と名乗ることを許されている。他は皆名字を持たず、名前だけで一生を過ごす。我々の世界では、こういう取り決めがあるんだ」
 王様が丁寧に説明をしてくれた。私の世界とかこちらの世界とか、日常ではとうてい使わない単語が交わされているが、麓尺さんが事前に説明してくれていたおかげで、円滑に会話を進めることができている。
「そういうことだから、佳月ちゃん。この世界にいる内は、名字を名乗らない方がいいかもしれないね。いちいち説明するのも面倒だし」
 アオイさんの提案には賛成だ。あちらの世界だこちらの世界だという話を毎回する気にはなれない。
 少し落ち着くと、周りが見られるようになってくる。そうなった私の視界に一番に飛び込んできたのは、王様の後ろの壁だった。とても大きな肖像画がそこにはかけてある。
「ああ、気づいたかい?」
 私がそれに意識を持っていかれたことに気づいたアオイさんが言う。でも、言われなくても分かる。
「あの方がショウカ様だよ」
 そうみたいですね。だって、どう見たって私の顔だもの。似ているどころじゃない。
「びっくりしたでしょ」
 なぜか得意げに言うアオイさんだけど、私が誰に似ているか思い出したのは麓尺さんでしょう。
「何て言うか、私、ですね」
 そして私は絵に引き寄せられるかのように立ち上がり、歩き出した。止められても不思議じゃないし、止めて欲しかったかもしれない。何か言いたげな麓尺さんをこえて、赤い絨毯を進んでいく。ただほほえみをたたえるだけの王様も何も言わず、私の進路からずれてくれた。みんなにも伝わっているのだろうか。この変な感覚が。近づいてこいと言わんばかりの引力を、みんな感じているのだろうか。だから、誰にも止められずにここまでこれたのだろうか。触れるのを一瞬ためらったが、おそるおそる手を伸ばしてみる。ざらついた感触。あるはずのない温もり。郷愁にも似た気持ちを与えるその顔。肩をなで、頬に触れるために少し背伸びをする。やがて小さな子が母にそうするように、絵の彼女の組まれた手に、頭をもたげた。 「ずいぶんと、愛おしそうに触れるね」
 その声にはっとさせられる。
「す、すいません! 私勝手に!」
 さっきまでの自分は一体何だったのか。急に襲ってくる恥ずかしさと焦り。その場でわたわたとしていたら
「そんなに大切そうに触れるんだ。誰も文句は言わないよ」
 ああなんて優しいんだろう。現国王が座るイスの後ろに、彼自身ではなく「ショウカ様」が飾られていることが、この国における彼女の存在を如実に現していると思う。それなのに、何の断りもなく彼女に手を当てたことを許してくれるなんて。
「で、さわってみて何か分かった? 触れるだけでショウカ様の力でももらえたらいいのにね」
 言いながら立ち上がって手招きするアオイさんの方へ戻る。戻るタイミングを探していた私にとって、それはありがたかった。彼の隣に立ってから
「力、ですか」
 と問うてみた。
「そう。僕には決して宿らない力。君は、持っていそうだけどね」
 相変わらず少しずれた答えを返される。私はそれがどんな力かを知りたいのに。
「あれ?」
 すると、突然の違和感が私を襲った。いつの間にか立ち上がっていた麓尺さんを視界にいれたときだ。いや、もっと言えば麓尺さんとアオイさんの二人が見えたとき。絵から戻ってくるときには感じなかったそれが、今は強烈に訴えかけてくる。
「どうかした?」
 アオイさんは言葉で、麓尺さんは視線で尋ねてくる。見えないけど王様も不思議に思ってるだろうか。何せ私も思っている。自分でも分からないそれを人に説明する事なんてできなくて、私はただ
「何でもないです」
 と言うしかなかった。