02
 胡散臭そうな、お兄さんかおじさんかも分からないような人に、立ち上がるのを手伝ってもらった。
「ありがとうございます。えっと、初めまして、ここは一体どこなんですか?」
 私は海にいて、イソギンチャクに吸い込まれて、すべり台を延々すべって、そうして見たこともない部屋に落とされた。
「ここは僕の部屋だよ」
 にこにこと答えられるが、すいません、私が聞きたいのはそんなことじゃないんです。
「はあ。私、ちょっと前まで海にいたん」「海だって?」
 何だかものすごく驚かれている。隣にいたまじめそうなお兄さんも、声は上げないものの驚いているのが表情で丸わかりだった。
「ええ、海ですけど? それが何か?」
「何かって、これはすごいことだよ! 君は本当に海から来たんだね?」
「アオイさん!」
 お兄さんが止めてくれなかったら、きっと頭がぶつかるぐらい詰め寄られていたと思う。ありがとう、お兄さん。
 その後、興奮状態のアオイさんを何とか抑えつつ、現状を把握してみた。私はどうやらずいぶんと遠くまで来てしまったらしい。まだ推測の域を出ないが、県や国どころか、世界すら違う可能性があるのだとか。その上、ホラ貝から出てきたと言うから驚きだ。あのすべり台は貝の中だったのだ。
「この辺りに海がないなら、その辺の貝殻はどうしたんですか?」
 棚にたくさん並べられた貝殻をさして言った。この世界では、海の存在は伝説のようなものらしい。誰も見たことがない。どこまで行けばあるのかも分からない。私なんて家のすぐ側にあったのに。
「君が出てきたそれ以外は、全部偽物だ。僕が本を見て作ったんだよ」
「え! すごい!」
 海への憧れもここまでくれば相当なものだ。私がイソギンチャクに吸い込まれたと言った時なんて、言ったことを後悔するぐらいの騒ぎになった。
「じゃあ、これはどうやって手に入れたんですか? 海、近くにないんですよね?」
 私が出てきたという貝殻を持って、色んな角度から見てみる。うん、これは本物だ。確かにレプリカはレプリカらしく、まず手触りから違った。
「ごく希に、この国の外から商人がやってくることがあるんだ。これは彼から買ったものだよ」
「なるほど」
 改めてホラ貝をよく見てみる。この中に入れば、あるいはあの海に帰ることができたりするんだろうか。そして、
「そういえば、まだ名前を言ってなかったね」
 思考が中断された。
「僕はアオイ。気軽にアオイさんと呼んでくれてかまわないよ。それでこっちが」
「私は麓尺と言います。あなたは?」
 名前、だけ? 名字は教えてくれないのかな。初対面だったら、普通は逆だと思うんだけどな。
「えっと、佳月、です」
 名字も言えばよかったのかもしれないけど、こっちの人達にあわせてみた。また機会があれば聞いてみよう。
「そう、佳月ちゃんだね、よろし、く?」
「?」
 突然私の顔をじっと見つめて、そのまま考え込んでしまった。
「どうかしましたか?」
 麓尺さんが尋ねても、うんうん唸るばかり。
「いやさ、佳月ちゃんの顔をどっかで見たことあるような気がして」
 アオイさんはそう言ったまま、また考え込んでしまった。私なんかはそれを見ながら、ずっと立ちっぱなしでそろそろ足が疲れてきたな、とか思い始めていた。と、
「あ!」
 麓尺さんが突然声を上げた。
「アオイさん! ショウカ様です!」
「ああ! そう! そうだそうだ!」
 何だか二人で盛り上がっている。状況についていけない私は、一人首をかしげるばかりだ。
「誰ですか? その、ショウカ様って」
「この国を建国した人で、そのまま初代女王になられた方だよ。当時、唯一妖に対抗できた人としても有名なんだ」
「あや、かし?」
「そう。で、それはショウカ様の血筋に生まれた女系にだけ受け継がれる力だから、王家に生まれた女子は日々妖から泉を守っているってわけさ」
 世界が違うと常識も違う。たぶんこちらでは知っていて当然の話なんだろうけど、私には全くちんぷんかんぷんだった。
「アオイさん、そんな説明じゃだめですよ。もっと詳しく言わないと。何せ違う世界の少女なんですから」
 ああ、やっぱり麓尺さんは私の救世主だ。軽くため息をつく姿すらどこか神々しく見えてくる。そのまま拝みたい気分だ。
「うーん。違う世界の少女っていう響きがいいねえ」
 もうだめだ、この人。
「とりあえず、王様に会おうか、佳月ちゃん」
 いつもこんな感じで人と会話してるんだろうか。今日会ったばかりの私には、慣れた様子の麓尺さんを尊敬するしかできなかった。

 扉を引き開けて、私が出るまでそれを押さえてくれていたのはもちろん麓尺さんだ。ありがとうございます、と会釈をしながら外に出ると少し、ひんやりとした。
「え?」
 麓尺さんの驚く声が聞こえて振り返ってみると、私の後から部屋を出ようとしたアオイさんがいるだけで。
「アオイさんも行かれるんですか?」
「何? だめなの?」
「だめとは言ってませんよ。ただ驚いただけです。あなたが部屋から出るのを見たことがありませんから」
 それを聞いて、今度は私が驚いた。二人の雰囲気から察するに、昨日今日のような関係ではないはずだ。麓尺さんの衝撃発言に、少し首をかしげたアオイさんは
「そうだっけ?」
 とだけ言った。否定しないということは、きっと心当たりがあるのだ。もしくは、それが事実でも不思議じゃないんだ。ここに来てから驚きっぱなしである。
 アオイさんの部屋を出ると、目の前には扉が二つあった。麓尺さんがそのうちの右側を手前に開いて中に入っていく。私も後を追う。建物の外に出るのかと思いきや、なんと螺旋階段が上に伸びていた。
 石造りであるらしいこの建物では、部屋の外には冷えた空気が充満していた。夏が始まったばかりだった私の世界では、この格好でも何ら問題なかったが、こちらは冬に近づいているのだろうか、冷える。そもそも、四季という概念があるかどうかすら私はまだ知らない。
 麓尺さんのブーツも、アオイさんの革靴のようなものも、石の階段をきれいに響かせている。誰も何もしゃべらず、ただ靴音だけが響くこの空間は何だか異様だった。一定の間隔で音が鳴ることもあわせて、眠気を誘っているようにも感じられるほどの静寂である。しかし、私の足下から発せられる何とも間抜けな音が、そうはさせなかった。せめてスニーカーでも履いていればよかった。
 もやもやと考えながら階段を上り続け、途中で右側に現れた扉を二つ通り過ぎ、三つ目でようやく止まった。
「どうぞ」
 小さな窓が転々とついていただけの階段部屋――私はそう呼ぶことにした――は薄暗かったために、扉をくぐり抜けると、その眩しさに目がやられた。
「佳月ちゃんの靴、おもしろいね。奇妙な音がする」
「すみません、間抜けな音で」
 この人にとっては、ビーチサンダルで歩く音でさえ興味をひかれることなんだ。私にとっては、そのことがおもしろい。

 階段部屋を出ると、扉が三つ。ただそのうちの一つがあまりにも存在感のあるもので、ここに入って行くんだと思わずにはいられなかった。何てたって王様に会うんだから。この扉の奥にいるに決まってる。
「こちらです」
 しかし予想外にも何の変哲もない扉に案内されてしまった。開けてもらって中に入ると、部屋の真ん中にはローテーブルがあり、それを挟むようにしてソファが二つ置かれていた。実際に見たことはないが、応接室ってこんな感じだろうか。それ以外の家具は置いてないし、窓は高い位置にあるし、なんていうか面白味のない部屋だ。そんなことを思いつつうながされるままにソファに腰掛けると、目の前にアオイさんが座った。
「もしかして、アオイさんが王様、とか言いませんよね?」
 それならわざわざここまで来ませんよね。まあなにより、この人が一国の主だなんて
「まさか」
 ほら。よかった。
「一応そんなに気軽に会える人じゃないからね。麓尺くんが話を通しに行ってくれてるんだよ」
 アオイさんの思いつきでここまで来たようなものだし、結構気軽じゃないだろうか。
「そういえばいませんね、麓尺さん」
 部屋を見回している間か、アオイさんに驚いている間にいなくなっていたようだ。
「ここは王に会うことが許可されるまで待つための部屋だよ」
 それだけのための部屋があるなんて、すごいな。私の部屋とは比べものにならないくらい広い。家具が少ないからよけいにそう見えるのかもしれないけれど、それを差し引いたとしても広い部屋だ。
「つまり僕たちはお留守番組だね」
 王様に話をしに行くのが麓尺さんの方だなんて。彼がアオイさんに敬語を使っているから、てっきりアオイさんの方が偉いんだと認識していたから、そう聞いてみると
「どっちが偉い、とかは分かんないな。役職が全然違うしね。僕はしがない研究員で、彼はこの国を守る騎士だ」
 なるほど。確かに麓尺さんは中世ヨーロッパの映画にでも出てきそうな格好をしている。深紅のマントもよく似合っていた。
「ところでアオイさん。気になることがあるんですが」
「何だい? 僕が分かることなら答えるよ」
 これだけは確認しておかなければならない。膝に肘を置き、組んだ手の上にあごをのせて、少し乗り出すように聞いてくれた。
「あの、もしかしてここってお城だったりします?」
 そう言ったとたん、彼の顔が崩れ、一人だけ笑いの渦に飲み込まれていった。その笑いが答えのようなものである。
「……もう分かりました。お城なんですね」
 ふてくされたような私の言葉に、さらに声が大きくなる。薄々そうじゃないかとは思っていた。あんなアオイさんの部屋と石の階段を見ただけで、まさかお城にいるなんて考えもしない。階段を上るだけで王様に会えると分かってから、もしかしてと疑いをもったのだ。素直にぶつけた結果がこれだけど。
 その後、アオイさんの向こうにある扉が開いて麓尺さんが見えると、私は彼にすがりつきたくなった。笑いはまだ、止んでいない。